【日本バスケ協会副会長・兒玉 幸長】バスケの話をしよう。 part.2

【日本バスケ協会副会長・兒玉 幸長】バスケの話をしよう。 part.1

2019年8月23日

 

ちくわ
そんな事が・・・

知らなかった。

兒玉

1893年頃、成瀬仁蔵さんと言ってアメリカに留学してた方が大阪におられました。

成瀬さんは日本に初めて女子大学を作った方です。

 

その方がアメリカからバスケットを持ち帰って来られました。

当時のバスケは今のバスケとは、ちょっと似ても似つかないんですけど・・・

 

大阪の高校で先生をされていて、大阪から東京の日本女子大学初代学長としても日本の女子バスケットを伝えるという事をされていました。

竿にかごをつけてバスケットをしている時代です。

 

私は女子のバスケットボールっていうのは、日本の女子スポーツの先鞭を飾ったと思っています。

その中でも戦前に女子の協会を作ったという京都の女性パワーは素晴らしいエネルギーを感じます。

 

戦前は京都が日本のチャンピオンに女子が何度かなっていますね。

 

ちくわ
男子はどうなんでしょうか?

兒玉

男子では京都大学、同志社大学も歴史があります。

バスケ部が日本で最初に出来た大学というのが立教大学、関西では同志社大学です。

 

ちなみに戦後、京都で国体をやろうという風に声をあげたのが京都のバスケットをやっている方たちです。

バスケは最初、京都に体育館がなかったので、兵庫でやっていました。

 

第3回の国体で京都は山城高校が少年の部で優勝しました。

 

そういった伝統の中で京都産業大学、同志社大学、洛南高校、東山高校と言う繋がりがあります。

 

 

ちくわ

歴史が今の伝統に繋がっているという事ですね。

今歴史あるインターハイがちょうどやっていますね。

兒玉

昨日まで鹿児島にいました。

ちくわ
インタビューは8/2に実施しました

インターハイでは京都精華・・・惜しかったです。

 

久しぶりに女子の元気な姿を見ました。

東山にしろ、京都精華にしろ”タラレバ”を言ったら良くはないですが、組み合わせによってはもっと上まで行ける力はあります。

 

また、強いチームばかりじゃなくて、京都の伝統というのがクラブチームがあります。

 

ちくわ
どういう点ですか?

兒玉

人口の割にクラブチームの数が多いのが一番京都が多いんです。

昭和47年頃は社会人では事業団と教員しかなかったんです。

 

全国の流れで大学に行かない方が多数な時代でした。

そうすると、高校を卒業後にバスケをする場所がないという問題が生じました。

 

そこで一番に手を挙げたのが京都なんです。

その努力もあってクラブチームは現在は非常に多く、バスケを楽しんでいる方が多いという事が言えます。

 

ちくわ
色んな方向で京都は強いですね!

 

兒玉

洛南であったり、東山、京都産業大学も関西で一番になりました。

クラブチームも京都は多く、女子のバスケも伝統があります。

京都はそういった特徴があることを知っておいてください。

 

ちくわ
伝統がある学校が多いですもんね。

兒玉

ちなみに、マンツーマンディフェンスというのがありますが、これを京都で初めて徹底したのが山城高校です。

このマンツーマンDFを武器に国体で山城高校が勝つことができました。

 

これを山城に導入したのが小森正巳さんと言う方で、東京教育大学で勉強された方が山城高校に赴任され優勝に導かれました。

 

ちくわ
それまではどういったDFが主流だったんですか

兒玉

マンツーマンではあったんですが、徹底的にマンマークにつくという守り方ではなくて、ゆるい感じでした。

マンツーマンを導入する事で、山城高校が小さい選手でも大きい選手に勝てるんだというのを見せつけてくれました。

 

ちくわ
そんな歴史まであったんですね・・・

兒玉

他にもあります。

昭和16年12月8日 戦前日本で最後の東西バスケというのが行われました。

 

この日というのが戦争が始まった日で、この時の関東代表というのが立教大学中心に関西は京都帝大を中心に東西対抗行いました。

この会場というのが京都大学の体育館で毎年行われていたのですが、この日は超満員でした。

 

朝に戦争が始まったと聞いて、戦争が始まる前に行われた最後のバスケが京都で行われました。

当時の多くの選手がもうバスケが出来ない・・・戦死されたんでしょうね。

 

こういった歴史・伝統があるというのを京都のバスケットマンには知ってほしいですね。

京都のバスケットマンと言うのはそういった事を心のどこかに持っていてほしいと思いますね。

 

そうすればまたプレイだけでなく人としての幅も広がるんじゃないかと私は思っています。

 

ちくわ
初めて聞いた話ばかりで大変興味深いです。

兒玉

中々こういった歴史背景を知らない選手は多数いると思います。

 

バスケだけでなく、日本のどのスポーツでもそうですが指導者は根性論で勝った負けたばかりが多いですね。

 

勝った負けたではなくって、自分がやっているスポーツがどういう生い立ちで、どういう歴史背景があったかと言うのを知ることで、平和な今だからこそ出来るということを知ってほしいですね。

 

ちくわ
当たり前じゃないという事ですね。

 

兒玉

そうです。

開会式でもこのような話をするんですが、先人たちの偉業があったからこそ、君たちはバスケットが出来るのは当たり前じゃないんだよと言うのを伝えたいですね。

特に京都はそういった歴史的トピックスが多いので知ってほしいです。

 

【日本バスケ協会副会長・兒玉 幸長】バスケの話をしよう。 part.3

2019年8月25日

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