〜 『トレーナーは選手の人生を預かる仕事』 〜 西村 剛トレーナーpart.2

〜 『トレーナーは選手の人生を預かる仕事』 〜 西村 剛トレーナーpart.1

2021年1月20日

 

ちくわ

メディカル部門の池田Dr、サポートトレーナーの沼澤さんは大阪バスケットボール協会医科学部門の方でもあります。

今回の発表で協会と大阪エヴェッサの提携などもあるのでしょうか。

 

西村

今の段階ではそういった話はありません。

ですが、今後縦の関係が上手く築ければアンダーカテゴリーに対しても良いサポート体制が築けるのではないかと思っています。

大阪は大きな街でDr・トレーナーに関しても優秀な方が数多くいます。

これは大都市の強みですので今後良い形で、協力関係が構築できればクラブとしても大阪バスケットボール協会としても良い相乗効果が見込めますね。

 

 

ちくわ

西村さんは大阪の大学を卒業後にサザンオレゴン大学進学のため渡米されています。

元々、トレーナーを志していらしたのですか。

 

西村

元々はそういった事は考えておらず、大阪の大学には指定校で進学しました。

経営学部だったのですが、そこにエネルギーを注げず、大学もギリギリ卒業したような感じでした。

 

ちくわ

それではどういった経緯で渡米されたのでしょうか。

 

西村

小学校からのバスケを通じた幼なじみがいるのですが、その幼馴染のお父さんに小さい頃からバスケを指導してもらっていました。

大学時代は幼馴染のお父さんの紹介で地元のミニバスチームのコーチをしたりもしていました。

色んなことを幼馴染を通じてお父さんに相談なんかもしていたのですが、大学卒業後の進路について悩んでいた時も同じように相談をしました。

自分は人とは違う仕事がしたい、自分にしかできない仕事に将来就きたいと思っていました。

そして卒業後はスポーツに関わる仕事をしたいと漠然と思っていた私にトレーナーという職業がある事を教えてくれました。

ちくわ
なるほど。

西村

ただ私が22歳の頃というと、今でこそトレーナーの養成校はかなり増えましたが当時はトレーナーの学校なんてものは日本にほとんどありませんでした。

どうしようかと悩んでいる私に

「スポーツの世界にはトレーナーという仕事がある。そしてその分野ではアメリカが世界で一番進んでいる。どうせならそこへ行ってみてはどうや?」

とアドバイスをくれました。

また、資格を取得して帰国した後、トレーナーをやるにせよやらないにせよ英語を学んでいるのは強みだというアドバイスももらいました。

そういったアドバイスがあり渡米する事を決めました。

 

ちくわ

当時ですと情報も少なく大変だったのでは。

 

西村

何もない状態でしたね。

やはり渡米後は全て英語なので分からないことだらけでした。

ある程度の英語はできるつもりでしたが全くでしたね。

語学学校である程度のレベルに達してから大学に進むのですが、それでも専門的な英語も多いのでかなり苦戦しましたね。

本当に分からない事だらけでした。

 

ちくわ

かなり努力されたのでは・・。

 

西村

私の性格が分からない事をそのままにしておくのが嫌な性格なんです。

授業後も先生に質問をしたり、家に帰ってからもその日にやった事の復習をしっかりやっていました。

すると成績も向上し、最難関であるNATA-ATCの試験も受けてみようか!

と厳しいだろうなと思いつつライトな気持ちで挑戦したのですが、なんと受かってしまいました。

 

ちくわ

日々の努力の積み重ねですね。

当時はバスケ以外の競技も関わられていたのですか。

 

西村

そうですね。

アメリカでの学生インターンの間は全競技に関わらないといけません。

バスケ以外ですとアメフトやバレー、ソフトボール、レスリングなんかもインターンで関わらせてもらいました。

 

ちくわ

他の競技から学ばれる事は何がありますか。

 

西村

たくさん有りますね。

競技によってケガの多い箇所や受傷率って違うじゃないですか。

野球だったら肩や肘、アメフトであれば脳震盪や頚椎のケガの事などあります。

そういった事を経験した事は今現在の仕事にも活かされます。

バスケだったら下肢のケガが多いですけど上肢のケガは少ないですよね。

そういった時に過去に経験があるのとないのとでは全然違いますよね。

 

ちくわ

卒業後は日本に帰国されたのですか?

 

西村

日本帰国後は東京のトレーナー会社にお世話になりました。

同時にトレーナー含め沢山の方々と連絡を取り、実際に会ったりもしに行きました。

当時はbjリーグができる直前で、大阪ディノニクスから大阪エヴェッサになる前でした。

その当時GMを務めた塚本さんを縁あって紹介してもらい、そこから大阪エヴェッサのトレーナー就任の話をいただきました。

塚本さんはその当時、明治大学のHCもされていてトレーナーとしても関わらせてもらいました。

クリニックにも一緒に行かせてもらったりと良い経験になりました。

 

 

ちくわ

なるほど。そういった経緯があったのですね。

もう大阪エヴェッサのトレーナーといえば西村さんな印象があります。

 

西村

2回ほど抜けていますけど、長年大阪エヴェッサにはお世話になっています。

 

 

ちくわ

bjリーグ時代は創設当初から3年連続優勝、HCで言うと当時も天日HCでした。

またこうして天日HCとお仕事されていますが、どういった心境ですか。

西村

当時は何も分からないプロの世界に飛び込んで天日さんから色々学ばせてもらいました。

一緒にお仕事さしてもらった最初の4年間と言うのは私の中でスタンダードとなっています。

天日さんとは良い思いや苦しい思いなど色々経験させていただいたので、私にとっては貴重な存在です。

またこうして天日さんと再び仕事をさして貰えると聞いた時には初心に戻ると言いますか、ワクワクするような感覚になったのを今でも覚えています。

信頼されているかは分かりませんが(笑)

 

 

ちくわ

またまたご謙遜を(笑)

 

西村

いえいえ。

天日さんは自分というのを持ってらっしゃる方なので非常に仕事はやりやすいです。

厳しい方ですが学びが常にあります。

 

〜 『トレーナーは選手の人生を預かる仕事』 〜 西村 剛トレーナーpart.3

2021年1月22日

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