写真提供:京都ハンナリーズさま
松田
その通りですね。
小川HCは当初からDFからというのを徹底して伝えられていて、宇都宮ブレックス戦GAME2(2/13) はそれを体現したのではないかと思います。
全体的に見て日本人選手、外国籍選手、スタッフ含めかなりコミュニケーションを取っています。
ベテラン選手もコーチとよく話をしていますし、お互いどういったことを考えているのかというのは浸透していると思いますね。
そして小川HCのバスケットボールを体現するために欠かせないのが、ベテランの#33 内海慎吾選手です。
指導者ではありませんがバスケIQも高く、小川HCも頼りにしている存在です。
選手とコーチとのパイプ役のような形でチームを作ってくれていて、内海選手がいてこそ小川HCのバスケットボールが出来るという感じです。
松田
試合に出ていなくても存在感を出せる選手って中々見当たりませんもんね。
コーチからも選手からの信頼も熱く、京都ハンナリーズにとっては欠かせない選手です。
ベンチでも話しかけている姿かなり多く観られますもんね。
勝手な印象ですが、そういった存在は#33 内海選手か大宮選手(千葉ジェッツふなばし)しか今イメージできないですね。
大ベテランのプライドを掛けた勝負を要チェック!
松田
言われてみればそうかもしれませんね!
チームを助けてくれる大きな存在です。
チームを支えるベテランの重要性ですね。
松田さんが京都ハンナリーズに加入された時はトレーナーの北川雄一さんが在籍されていました。
北川さんもかなりのベテランでしたね。
その後、日暮さん、和地さんと共に働かれていました。
タイプの違う3名と一緒に働かれて松田さんが学んだことなどお聞かせください。
松田
一年目のシーズンは雄一さんから全てを学んだと言っても過言ではないです。
雄一さんだけでなく、当時ACの久山智志さん(現・信州ブレイブウォリアーズ)等にも色々教えていただいたのですが、、
まずはBリーグの仕事とは何ぞや!
といった所からです。
京都ハンナリーズ加入前はB3 東京サンレーヴスで仕事をしていました。
当時は専属での契約でなく練習の週に2回、試合は週1回でホームのみ帯同といった働き方でした。
京都ハンナリーズに加入してから同じバスケットボールのリーグでも全く違う事に最初は戸惑いました。
なるほど。
1年目は戸惑いからのスタートだった訳ですね。
松田
そうですね。
言葉を選ばずに言うとビビってました。
そんな僕を雄一さんが常にフォローして下さり本当に感謝しかありません。
スキル的なところの指導よりは選手との関わり方、コーチ陣とのやりとりであったりヒューマンスキルを中心に北川さんからは学ばせてもらいました。
特に外国籍選手とのコミュニケーションの部分は学ばせてもらいました。
松田
いえ、全く。
中々話せない日々が続いていたのですが、雄一さんから
「兎に角、やってみようよ!」
「彼ら外国籍選手も完璧に英語が出来るなんて思っていないし、話し掛けるだけでも嬉しいからどんどん行くべきだよ」
と背中を押してもらったのがキッカケで、簡単なワードだけの時もありましたが積極的に話すようになりました。
それがあってか流暢ではないですが、外国籍選手と話すのにも怖さもないです。
むしろどんどんコミュニケーションを取れるようになっています。
そういった一人一人の選手との関わり方、仕事に対しての考え方は0から教えていただきました。
松田
雄一さんが退団された後、日暮さんと2シーズン一緒にお仕事させていただきました。
雄一さんから学んだ事を実際に実践できたのが日暮さんとの2年間だったと思っています。
トレーナーとしての最終決断はヘッドトレーナーの日暮さんが実施されていましたが、基本的に同じ立場で仕事をさせて貰えたと感じています。
例えば選手のトリートメントであったりテーピングであったりどちらがメインでと分けるのでなく任せて貰える事も多かったですね。
トレーナーとしてのキャリアは日暮さんもトップレベルの方です。
トップレベルだからといって偉ぶるでもなく、僕の話も熱心に聞いてくださりましたしアドバイスも多く頂きました。
雄一さんが退団されて不安で押しつぶされそうになっていたのですが、日暮さんだったから頑張れた2年間でしたね。
松田
そうですね。
また新たに構築したりもさせて貰いましたし大きな経験でした。
4年目は和地さんがヘッドトレーナーとして加入されたと同時にストレングス&コンディショニングコーチに藤田さん(現・横浜ビー・コルセアーズ)も一緒にお仕事させて貰いました。
和地さんとのシーズンも更に実践でしたが、初めてトレーナー陣が3名になったシーズンでした。
和地さんも藤田さんもBリーグ加入が初めてということで、トレーナーチームをどうチームに組み込ませるのかといったマネジメントの部分を実践で学んだ時期でした。
今までは自分の仕事に集中すれば良かった場面も全体のクオリティーを上げるためにどうすればいいのか、人と人とをより繋ぐにはどうしたらいいかなんて事を考えていましたね。
実践ではあるのですが、今までとはベクトルが変わった年でした。
松田
そんな偉そうな物でもないですが(笑)
ですがそういった面は成長できましたね。
そういった全体への配慮が今の役職にも活きる訳ですね。
お話を聞くとなんだか完璧な様に聞こえるのですが(笑)、松田さんの失敗談やこんな事があったよというハプニングなんかを聞いてもいいですか。
松田
失敗談というかハプニングなのですが・・・
1年目の時にあった事ですがアウェーゲームが続いていた時期でした。
三遠ネオフェニックスと試合の後に琉球ゴールデンキングス戦に向けてチームが沖縄に向かっている時ですね。
突然、雄一さんから電話がありました。
ちょうど僕は怪我人の対応でアウェーゲームに帯同せず、京都にいたのですが第一声が
「大変な事が起こった!」
だったんですよ。
何かと思ったら荷物を三遠から沖縄に送ったのですが、郵送業者が間違えて船の便になって試合の時に届かないといったハプニングが起きました。
急いで準備をして欲しいとのことで、荷物をかき集めました。
たまたま京都から沖縄に向かうスタッフがいて事なきを得たのですが正直焦りましたよね。
後は個人的な話ですが初めて沖縄と北海道への遠征に帯同できないというハプニングもありました。
松田
人生で沖縄と北海道へは行ったことがなかったんですよ。
仕事ですが行ける事に内心喜んでいて、周りのスタッフにも話をしていたのですが・・前日に怪我で残る選手がいるから対応するようにとの事で残る事が決まって行けませんでした。
周りのスタッフからも事務所で弄られたのは今でも覚えていますね(笑)
Part.3 2/8 更新
小川HC体制で2年目に突入しました。
先程もありました通り、怪我や新たに加入した選手やスタッフの影響もある中、小川HCのやりたいバスケットボールが浸透してきたのかと思っておりますが、その辺り松田さんから見ていかがですか。