【中川 和之】~人生讃歌~Part.1

中川和之(なかがわ かずゆき)

  • 全中優秀選手賞
  • インターハイ得点王
  • 関東大学新人戦MVP
  • 関東大学選手権MVP
  • 関東大学リーグ戦優秀選手賞
  • インカレ敢闘賞・優秀選手賞

などなど、学生時代数々の賞を受賞。

さらにはユニバーシアードやジョーンズカップ日本代表として名を連ねます。

 

また、大学卒業を待たず渡米しNBAを目指しABAのチームに所属。

ABAでは日本人史上唯一のオールスターにも選出されます。

 

日本帰国後はbjリーグの高松ファイブアローズ、ライジング福岡に所属。

JBLに移っては三菱電機ダイヤモンドドルフィンズで活躍。

その後、つくばロボッツ、Bリーグのアースフレンズ東京Zで活躍し、2018年に電撃引退。

 

そして現在は環太平洋大学女子バスケ部の監督としてご活躍されています。

 

トッププレイヤーとして活躍され、そして指導者へ。

現役時代の大けがからのカムバックの秘話などお話伺いました。

 

中川和之さんインタビュー

ちくわ

まずはインカレ出場おめでとうございます。

今回、お忙しい時期にインタビューのお時間頂き、ありがとうございます。

 

中川

とんでもないです。

 

ちくわ

選手を引退され、監督に就任されるというニュースを見た時はビックリしました。

就任からもうすぐ2年になろうとしていますが、中川さんの心境の変化、ここが変わったなという点はなにか自分の中でありますか?

 

中川

そうですね。

選手時代は“自分の視点でしかバスケットを捉えていなかった”というのが一番ですね。

指導者になって、選手たちが僕を見ているという、1対40の構図なので見方、関わり方は色んな人間力を付けないといけないです。

 

そうじゃないと、これだけの人数の選手達に対して責任を持って指導できないな、と感じている事が大きな変化ですかね。
着任してから、これまで僕はいかに自分のことしか考えていなかったのだなと度々痛感させられました。

 

 

ちくわ
個人から全体を観る必要がある・・・責任感が増えたという感じですかね。

 

中川

そうです。

プロのキャリア最後の方なんかはもう全く緊張していなかったんですけど、指導者になってからは当然緊張しています。これって指導者になったから緊張している訳ではないんですよね。

選手時代は自分のことだけ調整すればよかったんですよ。後は監督やコーチ、周りのスタッフに任せておくという感じで。

むしろ“自分の事をしっかりやっておけば“というのがあったんですけど。

 

監督になってからは、選手全員、チームが上手くいってくれるかを常に考えながら行動しなければいけなくて、学生はまだアマチュアでスキル面でもメンタル面でもどうなるか予想がつかないことが多いので、その分緊張してしまいますよね。

 

ちくわ

なるほど。

例えばどんな時、緊張されるんですか?

 

中川

例えば練習なんかで事前に伝える事・指導する事なんかを準備をしていても、実際それが本当に伝わっているのか、準備してきたものがちゃんと出るのかとか・・・

自分がプレーをするのではなく選手がプレーをするので、予想が本当につかないので、最悪のケースも想定しながら指導やベンチワークをする必要があります。

そういった部分の怖さだったり、緊張感だったり、責任感の部分ですね。

 

 

ちくわ

中川さんは選手時代に筑波大学の大学院を卒業されています。

授業でコーチング論等、様々な事を学ばれたと思うのですが、やっぱり座学と実際の現場の違いを感じる部分があると思うのですが、どういった事が違って大変なのでしょうか。

 

中川

そうですね・・・
筑波の大学院時代で学んだことは物凄く活きていますよ。

ただ、やっぱりこういう学生(1年生のある部員を指さして)がいるんで大変なんですよ(笑)

 

対人間となると、その人のパーソナリティーによって対応が変わることもあるので、習った事が必ずしも全て当てはまるとは限らないので、そういった意味では授業とは現場はやはり違います。

試行錯誤の繰り返しですよね。
でも、IPUでの2年間で本当に様々な経験をしてきたので、少しは成長の手応えも感じています。

 

 

ちくわ

日々、トライ&エラーを繰り返しながらといった感じですかね。

 

中川

日々それの繰り返しです。

これだ!っていう指導はまだ見つかっていないのですが、一つ言えるのはこれ!と言うのがあれば、それをとことん追求していく姿勢が大事だと思って日々取り組んでいます。

 

 

ちくわ
プロ選手を続けながら、大学院へ通われたり、選手会理事等、様々な活動を現役時代にされていましたが、どういったタイムスケジュールやどのような思いで日々過ごされていたのでしょうか?

 

中川

まず、27歳まではNBA選手になりたいという思いで本気で挑戦していました。

そこからいったん一区切りしたところ、目指すものがなくなって日本に帰ってきました。

 

今だから言えるんですけど・・・日本に帰国後の現役時代にアメリカでNBA選手になることだけを考えてプレーしていた頃のパッションを持ってやれていたのかというと・・・

実はそうでもなく、妻を養う為だったり、生きるためにやっていたというのが本音です。

 

”バスケだけに全てを注いだのか?”と言われると、正直そうじゃない部分もありましたね。

これは完全言い訳なんですが、紛れもない事実です。

 

 

ちくわ

いやいや。

日本帰国後も中川さんは輝いていました。一種のカリスマでしたし。

例えばどういった事がそうじゃないと感じられた所なのでしょうか?

 

中川

一番は24時間バスケのことを考えなくなったこと。

損得で動いたこともありましたし、ケガをしても身体を労わらなかったこともあった・・・

今でもたまに、あの頃もっと本気でバスケに向き合っていたらそんな失敗もなかったのか?

なんて思うときがあります。

 

全て“たられば”の話で、実際どうなっていたかは分りませんが。

ただ、昔からそういった失敗事に合う事は多かったですね。僕はどうしても遠回りのプロセスを経てからじゃないと気づけないんですよ。その度に“何か意味があるんだ”と言う風に捉えてやってはいましたが。

失敗することは全てが必ずしもネガティブなことばかりじゃないんですよね。

 

実際、今の指導において、現役時代に僕が大きなケガにあっているから、練習や試合で選手がケガをした時の気持ちが本当の意味で理解できるのかもしれませんし。

人生において歩みが止まることや後退することがあったとしても、後の人生で取り返せるのではないかと言う感じで捉えています。

 

 

ちくわ

僕も学生自体ケガが多く、IH予選前に半月板を痛めた過去があります。

当時の自分を思い返した際、中川さんが先ほど言われていた“何か意味があるんだ”と言う風に捉えるのは学生では中々難しい部分があると思います。

今だからこそ、中川さんならケガをした学生にどういった関わりをされるのでしょうか。

 

中川

いつも学生には“身体は消耗品だぞ”と言う風に伝えています。

毎日家で洗濯すると当然いつかその洗濯物は傷んでしまいますよね。それと一緒です。

 

ただ昔って、健康な身体ってずーーーーーーっと永久に続くものなんて思ったりしませんでしたか?(笑)

 

 

ちくわ
思っていましたね。

 

中川

でしょ?僕もそうです。

若い時は体育館に来てバッシュの紐もろくにくくらず、アップせずいきなり全力でやっても出来たじゃないですか。

でもそれがいつか出来なくなる、ということを若い時はなんとなく理解はしていてもなかなかイメージして行動まではしないですよね。

その結果、自分はこうなっちゃったよ!と伝えるのが今の役目だと思っています。

 

 

ちくわ

なるほど。人間の身体は買い替えるものでもないですからね。

労わる必要性ですね。

 

【中川 和之】 人生讃歌 Part.2

2019年12月25日

【中川 和之】~人生讃歌~

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