北村 豪希
bjリーグ ライジング福岡の練習生を得て、2010-12大阪エヴェッサ、2012-2014 京都ハンナリーズに所属しプロの世界でプレイされていました。
ハンナリーズ退団後はSHIZUOKA GYMRATS(静岡ジムラッツ)に所属しアメリカでもプレイされています。
出身の京都にバスケットボールスクール “Risicare” を立ち上げ、現在は代表としてご活躍をされています。
本日、北村豪希 さん( @gokikitamura2 )にインタビューをさせて頂きました!
現在Risicareでスクールコーチとして御活躍されている北村さん。
エヴェッサ、ハンナリーズ所属時代のお話も沢山伺いました!
目標から逆算して行動する術を学べます!学生バスケ部は学ぶべし!!coming soon٩( ‘ω’ )و pic.twitter.com/WKCGL7SExO
— ちとせバスケバカ理学療法 (@chitooo13) 2019年5月30日
インタビュー
北村
ハンナリーズに所属していた時から作りたいなと思っていました。
でも営利目的扱いになってしまおうので実現しませんでした。
引退してスクールを作る夢を叶えるために動いていたんですけど、学校の体育館を確保するのが難しくい状況だったんですよ。
ちょうど僕の出身が深草小学校だったんですけど、実はそこも一度断られてるんですけど今はタイミングよく使わしてもらえることになり、今は学校を借りてスクールを開いています。
北村
京都ってミニバスと中学校は実は強いんですよ。
中学校で言うと精華とか、北部だと城北中も近畿大会出場しましたよね。
高校になると東山と洛南の二強が強すぎて、かつ京都以外から選手が来ちゃうんですよね。
その影響もあって、京都の高校に進学している子らは、
”妥当東山!洛南!”
と目標に掲げていますが、心のどこかで2強に対して一歩引いちゃうんですよ。
そういった一歩引いた感じは大学でのプレイにも影響を及ぼしているんじゃないかと思っています。
大学以降で京都出身の子が活躍しているっていうのは実は数少ないんですよ。
その流れを断ち切るために、スクールを通して技術だけでなくメンタル的な所も向上させてあげたい!という思いで開設しました。
確かに京都の高校生ってそんな印象あるかも知れません。
僕も含めそんな気持ちでやっていたかもしれません。
北村
僕の選手のキャリアとして中学校も弱くて高校も推薦で行ったわけではないんですよ。
自分が一度京都から離れてみて客観的に見れたんですよ。
プロになって感じたのは先ほど言った通りの事が確信を持てました
東山と洛南を否定するわけでは決してないんです。
僕も京都でやっていたから分るのでプレッシャーはすごく感じます。
ただ、そこで諦めるのを何とかしたい。そんな思いです。
北村
中学2年の時に京都でベスト4。
先輩に二人ほど大きい選手がいてそのお蔭でベスト4まで入れました
僕らの代は・・・ほぼ素人で、僕ともう一人以外はレイアップを決めれないというカオスな状態でした(笑)
もうちょっと覚えてないんですけど1回戦か2回戦で負けました。
これは記憶から抹消しちゃってますね(笑)
記憶末梢ですか(笑)
では、京都の高校でなく、近大附属へ行こうと思われたきっかけは何だったんですか?
北村
中学の部活に入った時点でプロになろうと思っていました。
まだその時はプロなんてなかったんですけど、やるからには上を目指したいと思っていました。
1年生の頃は体育館で練習もさせてもらえないレベルでしたけどね。
その頃から逆算してて、あっちから声かけてもらうしかプロになれない!という風に思っていました。
プロになることを逆算するということは、大学でインカレに出場して活躍して最後に引き抜かれる必要があるな、と。
その前に高校で活躍していい大学に推薦で行くしかないな。
じゃあその前に良い高校に入るしかない、と言う風に人生プランを考えていました。
北村
そうなんです。
京都にいるんだったら東山か洛南に行くしかないんですよ。
僕が学生のころは洛南が強かったので、洛南に行くには学力が・・・という壁がありました。
東山も考えていたんですが、練習が凄くキツイっていうすごい噂が流れていてて・・・
あと身長も高くないと試合に出れないっていう噂も流れてきていました。
東山に入学して、洛南を倒すことも考えていたんですけど京都以外の選択肢も考え始めました。
家から通うとなると大阪の学校で、さらに自分の学力でも入れる所。
そして大学への道筋も立ててくれると言うことも見越して近大附属を選びました。
北村
また京都から離れたいっていう気持ちもあったんですよ。
中学時代に選抜にも選ばれる選手でもなかったので京都では観てもらえないのは分っていたので京都から離れる事を決意しました。
近大の時の成績は2年の時にウィンターカップに出場されていましたよね。
3年の時の成績を教えてもらっていいですか?
北村
3年のIH予選は悔しい話ですが ブレスに引っかかってしまって・・・ベスト8で終わってしまったんですよ。
北村
はい。
親との話し合いもあって受験をすることになりました。
なるほど。そうだったんですね。
では高校の時の思い出を教えてもらっていいですか?
北村
6時半の電車に乗って12時ぐらいに家に帰ってくる生活でした
しんどかった。以上!(笑)
北村
夜ですよ。家帰ってご飯食べて風呂入って・・・
もう寝に家に帰ってるような生活でした
6時半の電車に乗っても実は朝練には間に合わなかったんで僕は3年間朝練には行けていないんですよね。
北村
だいたい9時半まで体育館が使えたのでそこまでは練習していました。
着替えて帰るんですけど、学校から駅まで早歩きで20分くらいの距離でした。
疲れているので足取りも重いですよね(笑)
電車も乗り換えの関係で最寄りの駅につくのが12時ぐらいでした。
過酷な高校生活だったんですね・・・
では大学でも近畿大学を選んだ理由は何かあるんですか?
エスカレーターと言う訳ではないんですよね?
北村
近大を選んだ理由は・・・
実はぶっちゃけると滑り止めなんです(笑)
本当は関大とか関学に行きたかったんですけど・・・
あと2問で落ちちゃったんですよね・・・。
めっちゃ詰め甘かったですね・・・
で、実は関大か関学に行ったらバスケをやめようと思っていました。
また新事実が!!!それはまたどうしてなんですか?
プロの夢は諦めていたんですか?
北村
そうですね。
その頃は本当に挫折していて・・・
プレスも突破できへんガードがプロになれるわけないわ!!と思っていましたから。
エリートサラリーマンへの道も考えたんですけど、やっぱりプロへの思いが捨てきれずにって感じです。
そこからはめっちゃ頑張りました。
と言っても試合に出たのは4年生からなんですけどね(笑)