本日のインタビュー終了!!
日本バスケットボール協会副会長・京都バスケットボール協会の兒玉会長に貴重なお時間頂きました!
早く内容を伝えたい!!!
どデカイ話を聞いてきました(((o(*゚▽゚*)o))) pic.twitter.com/H0CP8QW2FE— ちとせバスケバカ理学療法 (@chitooo13) 2019年8月2日
日本バスケットボール協会副会長・京都バスケットボール協会会長の兒玉 幸長氏にインタビューを行いました!!
バスケの楽しい話を中心に聞いてきました!!
是非、兒玉会長の京都のバスケを、日本のバスケに対する熱い思いを感じ取ってください!!!!!
インタビュー
よろしくお願い致します。
八村選手・渡邊選手がNBA入りと言う事でバスケ界が今、非常に熱いです。
日本バスケットボール協会副会長として、今のお気持ちを教えてもらってもいいですか?
兒玉
よろしくお願いします。
非常に嬉しい。そして興奮しております。
今、バスケットボールの競技をしている世界人口というのが4億人です。
サッカーが2億人、テニスが1億人と世界で最大の競技人口を誇っています。
八村君達の影響で、世界で最もメジャーなスポーツというのがバスケというのが日本にも広まったと思っています。
自分たちがやっているスポーツが、どういうスポーツでの位置付けっていうのが新しい視点になってきました
バスケは世界で最も盛んで、個人的には人類で一番の競技スポーツだと思っています
兒玉
そうですね。
今、 B リーグが出来てから日本のバスケが凄い速度で成長しています。
兒玉
技術的に変わったのは勿論ですが、バスケを観る館客層も変化が伺えます。
昔の日本リーグというのはバスケットをやっていた人が観るようなリーグでした。
日本リーグ時代では約100万人に至らない観客動員数でした。
bjリーグと言うBリーグの前のプロリーグでも100万人超えるか超えないかでした。
兒玉
しかし、去年の B リーグの観客動員数は260万人でした。
私達のようなバスケをやっていた人以外の方が観客として訪れているという事です。
日本のスポーツというのは、
”昭和のプロ野球”
これはプロスポーツを楽しむということを日本人が覚えた時代に当たります。
”平成のサッカー”
プロスポーツが地域に根ざした形となった時代です。
では今、令和は
兒玉
そうです。”バスケットボールの時代”と言えます。
バスケのエンターテイメントと SNS などを利用したテクノロジーを融合した新しいスポーツ文化を今まさに、日本が作ろうとしています。
バスケを取り巻く環境は、どんどん日々成長し、変化しています。
兒玉
そうですね。
関西はまだまだですが、関東の方はすごく盛んに盛り上がっています。
京都に帰ってくると、まだ昔のような状態だな・・・と感じてしまいます。
まだまだ・・・と言った所でしょうか。
京都のバスケとは、いったいどういった所が特徴にあるのでしょうか。
兒玉
そうですね。
まず歴史的な背景からお話ししていきます。
京都は“バスケの発祥の地”なのはご存知ですか?
はい。
YMCAの銅像がありますよね。
兒玉
その通りです。
京都は日本のバスケの発祥の地です。これは1915年のことです。
佐藤金一氏が京都YMCAで日本発のチームを作り、1925年には京都籃球(らんきゅう)協会と言って、現在の京都バスケットボール協会の前身が発足しています。
兒玉
流石です!
そして実は、京都と能代市だけがバスケットのモニュメントが建っています。
京都の人たちが戦前にバスケットをやり始めたということは、京都人としてプライドを持つべきだと私は思っています。
兒玉
そんなことありません。
特に北部の宮津。
ちょっと調べている最中なのですが、市町村協会を作ったのが宮津が初めてなのかもしれないと言われています。
理由は分りませんが、バスケ文化が定着しているようで、北部では宮津から舞鶴、綾部、福知山に広がっていったと報告もあります。
京都市内だけでバスケが広まったのではなく、北部にも中核があり、そこから京都のバスケが盛んになったんだなと思っております。
また女子のバスケットボールと言えば京都なんですよ。
兒玉
戦前に女子だけのバスケットボール連盟が最初に出来たのが京都です。
先ほどお話したように、日本でバスケットボール協会を最初に作ったのも京都ですが、女子スポーツ発祥の地というのも誇らしい事です。