〜築く〜 相浦 史典トレーナーpart.1

写真提供元:レバンガ北海道

 

レバンガ北海道の相浦トレーナーにお話を伺いました!!

長年レバンガを支える相浦トレーナーにトレーナーとしての在り方、レバンガ北海道について語っていただきました!!

 

相浦トレーナー インタビュー

 

ちくわ

今回、コロナウイルスの影響でシーズンが途中で終了すると言う残念な結果になってしまいました。

いつもと違うシーズンになりましたが、率直に相浦さんの2019−20シーズンの感想をお願い致します。

 

相浦

僕たちレバンガ北海道に関しては今シーズン勝ち星を中々挙げられず、厳しいシーズンでした。

また、コロナウイルスが北海道で多く患者さんが出てしまったという事もあり、

2月くらいから気にはしていたのですが、ここまで大きくなると想像もしていませんでした。

終盤に関してバスケどころではない状態ですよね、

モヤモヤしたままシーズンを過ごしていました。

 

ちくわ
北海道のコロナウイルスの影響はニュースでしか見ていませんでしたが、かなり大きかったですね。

 

相浦

外国籍選手含めて、この状況でプレーしていいのか?

実際に感染してしまうのではないか?

と言うリスクなどもありました。

これも選手によって感覚がかなり違っていて、不安に思う選手もいれば気にしていない選手もいました。

単純にシーズンの終盤はバスケ以外の空気感には正直なっていましたね。

 

ちくわ
そうなりますよね・・・。

 

相浦

また、今シーズンは折茂さんが引退発表して最後のシーズン。

チームとしても今シーズンに対して力はかなり入っていました。

僕個人としては長年一緒に働いてきて、最後プレイで終わることが叶わなかったと言うのはとても残念でした。

チームとしての成績も辛くて、今シーズン最後まで続いていれば昨シーズンと似たような結果になったのではないか・・と感じていました。

まとめると全体的に辛いシーズンでしたね。

 

 

ちくわ

ありがとうございます。

先ほどもありましたが、折茂選手の引退と言うシーズンでレバンガにとっては折茂選手の花道を作るために特別なシーズンだったと感じております。

結果としてオンラインでの引退会見となりました。

 

相浦

プレイして最後終われるとよかったんですけどね。

こればっかりは仕方ありませんが残念です。

 

ちくわ

折茂選手はオンコート・オフコートでの影響も大きいと思います。

7年間、折茂選手と一緒に仕事をして学ばれたことは何かありますか?

 

相浦

チームに関わることになった1年目は自分の価値観が180度変わりました。

レバンガに関わるまでは北海道でも1番強い大学で、また国体にも関わってきて勉強もそれなりにしているつもりでした。

そこでいきなり折茂さんにはガツンといかれました。

 

 

ちくわ

ガツンと!

具体的にはどう言った事だったのでしょうか?

 

相浦

トレーナーがいかに良い環境を作るかに関しては強く言われました。

学生だとチームでは学生が主体でチームの雰囲気を作ったりすると思います。

プロの世界ではトレーナーがチームの空気感を作る事が大事です。

例えばモップ掛けだとか、ドリンクの準備だったり環境設定をしっかりして選手にはプレイに集中させるための準備が必要だ!

という事を折茂さんから最初に教えて貰いました。

 

 

ちくわ

確かに学生スポーツだと学生が自ら空気作りますもんね。

 

相浦

そうなんです。

学生にとってトレーナーってお礼を言われる立場じゃないですか。

でもプロの世界では自分たちトレーナーが主になってチームを盛り上げていったり、空気感を作る。

“選手を強化するのも選手が何も言わなくても選手の状態を確認したりするのもトレーナーの仕事だろ“

と言う風に教わりました。

本当に最初の1年間は怒られながら、指導を受けながら過ごしていました。

それを伝えてもらえた事でプロの環境、プロの厳しさと言うのを一早く教えてもらいましたね。

 

 

ちくわ

これは実際に僕がお会いした事がなくて聞いたお話なのですが、折茂選手は自分にも他人にも厳しい方だとお聞きしたのですが如何でしたか?

 

相浦

言う事自体は厳しかったりするんですけど、実際良いおじさんですよ?(笑)

受け止め方だとは思うんですが、僕自身は伝えて貰える事でプロの世界を学べました。

厳しといえば厳しいですけど、経験がある方ですし色んなトレーナーの方ともお仕事されていますから。

全て吸収してやろうと言った気持ちでしたね。

 

 

ちくわ

愛のある厳しさと言う事ですかね。

 

相浦

その通りですよ。

 

 

ちくわ

相浦さんの加入したシーズンというのは2012−13シーズンからです。

どういった経緯でチームに加入されたのでしょうか?

 

相浦

僕が働いていた病院とレラカムイ北海道時代から契約関係にあったんですよ。

スタッフを1年〜2年研修として関わると言う契約で、僕が入職時は先輩がトレーナーとして関わっていました。

僕も入職時から行かせて欲しいと病院側には常に言っていました。

それで先輩の任期が終わって僕の順番になって関わる事になりました。

 

 

ちくわ

1〜2年の契約だったのに今まで?

 

相浦

そうなんです。

実はチームから評価して頂いて、病院に掛け合ってもらう形になりました。

折茂さんからも引退するまでは一緒にやろうよと言って頂いた事もあり、今までトレーナーとして関わる事ができました。

 

 

ちくわ

今“引退するまで“・・とあったのですが・・。

 

相浦

そうなんです。

病院から派遣の様な形で行っているので今シーズンで終わりと思っていたんですが・・・。

来シーズンからプロ契約として契約して頂きました。

 

 

ちくわ

おお!

おめでとうございます。

 

相浦

ありがとうございます。

 

 

ちくわ

相浦さんのチームでの役割についてなのですが・・・

これ別のインタビューでお答えされていた内容なのですが、今も飛行機の座席なども相浦さんが決めたりされているんですか?

sports medicine No.180 参照

 

相浦

いえ。

今はマネージャーがやってくれていますよ。

当時はスタッフが少なかった事もあり、座席やチケットの確保なんかもトレーナーの仕事でした。

先に空港に行ってチケットを手配したり、選手の体重で飛行機が傾いたりする事もあるので座席なんかも決めたりしていました。

 

〜築く〜 相浦 史典トレーナーpart.2

2020年7月2日

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